9月の放送予定
9月は次の放送を予定しております。放送内容は予告なく変更することがあります。
9月10日(土):第二十六回:感じると知る
これまで”感じる”ことを疎かに生きてきた自分に気づいたと語るマッサン。センセイは昨今蔓延する”知る”ことばかりへ意識が向く弊害を語りだす。知ることから転じて”知識”は”格の高い感じること”が出来るのに必要であるから、知ることそのものを否定しているわけではないと言う。ただ「感じれば自ずと知る行動に通じるから、知るよりも感じることが先だと思う。感じることには弊害はないが、知ることには弊害がある」と持論を語る。マッサンは”感じること”、自分の身を通すこと(経験する)ことでしかこの身は実感し得ないものだから、感じ、行動し、知るという流れが望ましいと自らの考えを述べる。知ることで先入観が出来て純粋に見れられない、聞こえない、感じ得ないことから、知らない効能について重要性を説く。感性と知性と悟性の調和に言及する。更に話は転がっていく。
9月20日(火):第二十七回:本の話
トッチャンが本好きだと感じたマッサン。そのことから本の話をしましょうと話題をふる。一先ず自分を横へ置いておき、昨今、本を読む人が減っているのではないか、ましてや本好きと言える人は過去に1人しか知らないと自らの過去を振り返る。最近自分が読んだ本、気になる本をお互いに披露しあうことになり、マッサンはドナ・ジャクソン・ナカザワ著の「免疫の反逆」を読んでおり、その内容や何故読んでいるかに触れる。そして読みたい本でありながら手が出ていないものとして、ドストエフスキーの「罪と罰」を上げる。トッチャンは「罪と罰」は自分の中でずっとブームだと言い、買って読んだ方がいいですと思いを語る。「罪と罰」の話から、自ら好む小島信夫について本の話を語る。小説はまず読まない中でふと読みたくなって集中的に読んだ「坂の上の雲」についてセンセイが話す。そこから明治の日本人の姿に話は及んでいく。
9月30日(金):第二十八回:読者と作家
前回からの続き。司馬遼太郎「坂の上の雲」の話。読み終え「死守」という熟語が印象に残り、そこから彼女を死守するのだと感じたことから看護に身を投じた過去を語る。自らも叙事詩「ポプラの丘」を書く一つのキッカケになったと語る。センセイは熟読は臨書を書くように読む。細部に至るまで目を走らせ遅々として進まない中で読んでいく重要性を説く。(センセイにとって本を読んだということは熟読したことを意味するよう)書く場合も同様に熟読するように書かないと自らを正確に汲み取っていくことが出来ないのではなかろうかと述べる。
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