2017年(平成29年)10月放送予定
10月10日(火):第六十五回:活動の脈絡
話者:センセイ、マッサン
日本人においては文化、芸術活動に携わる者は高慢になりがちで、それが理由もあり直接関係しない人はより疎遠になりがちな国民性がある。ハンガリー展での様子を見て、日本人にとって文化が遊離してしまった現実に気付かされたとマッサン。センセイはハンガリーの人は板についているんだと応える。ハンガリーでの書展は現地のインターメディアや地元新聞に取り上げられた。意識的に考えて行動しがちな現代において、センセイは改めて実感したのは「地に足がついた着実な活動」だと思ったと言う。頭で考えた行動は、縁が無い、脈絡がない、その場凌ぎの活動になり途絶えてしまう。本来の活動というのは地道なもので、自らの足元にあるものを活かした中での動きだと。
10月20日(金):第六十六回:日本人の性質
話者:センセイ、マッサン
日本にはありとあらゆる美術品がやってくる。その理由の一つに「日本なら安全だから」という部分があるように聞く。そして、その裏側の認識として、日本には地方にすら美術館、博物館、民芸館があり、海外からは文化的な国民と思われている部分もあるかもしれないとマッサン。センセイは、「ブダペストあたりを見ると、まずは全体の外観で決める。言わば建物重視で、中に入ると意外なところに本屋があったり外の雰囲気と中の雰囲気が異なる。日本はその点、外と中の雰囲気が一致している。つまり建物を決めて街全体を構成しているんだろう」、絵画にしても、内装にしても「日本は簡素な国なんだろう」と語る。ハンガリーと日本を比較しながら日本人の性質について語り合った。
10月30日(月):第六十七回:職業と適正
話者:センセイ、マッサン
小学五年生で書家になりと思ったセンセイ。本人の意思とは別にそれを促したのは他でもない担任の教師だった。母親にも息子の秘書になりなさいと諭す。本人は書を嗜む中で「こういう職業があったらいいなぁ」と知らず書家を思い描く一方で、「画家もいいなぁ」と思っていたとのことを証す。勉強しない自分が書家という職業を結果的に選んび知らず勉強をしている。画家の道は進まなかったけど描いたこともある。(自ら描いた鉛筆画を指す)「その人間に才能があるなら結局はやってる」と改めて感じると。頭で考え突飛なところ動くのではなく、自分の周りに、自分の足元に何があるかを見つめ、そこから手繰り寄せるセンスがあると無いとでは随分と人生か違ってくると言う。センセイは「負荷がかかる生き方をしないのが一番なんだと思う」と締めくくった。
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