2020年(令和2年)8月放送予定
8月10日(火):第百六十二回:君江さんとのこと壱
話者:松里鳳煌
今年の9月も書家の野尻泰煌先生が創設した書道展が開催予定である。師の追悼展も兼ねる。進める中で日に日に思い出されるのは彼女のこと。師の奥様であり、書家でもあった石丸茹園先生だ。彼女は2001年8月10日52歳で亡くなった。私が彼女の年齢を迎えた年、師が不意に「そう言えばマッチャン、君江さんの歳だね」と笑顔で言ったことが思い出される。今回は彼女のことを語ります。
8月20日(木):第百六十三回:音楽にみる純粋表現
【蔵出し】話者:野尻泰煌(センセイ)、松里鳳煌(マッチャン)
機会を得られて吹奏楽を堪能したというマッチャン。吹くという動作から奏でる音は奏者も聴者にも何とも言えない快感性があると。センセイはそれだけ吹奏楽は生っぽいんだろうと。ストラヴィンスキーの前と後では音楽における価値観は変わったとセンセイ。基礎は基礎、規律は規律として捉えながらも、自らの求めに応じ禁を侵さざる負えない中で進んでいく純粋感情は大切にしないといけないと語る。ストラヴィンスキーもその結果であると。純粋表現と経過の尊さについて語り合った。(2018年収録)
8月30日(日):第百六十四回:伝統文化と時代の乖離
【蔵出し】話者:野尻泰煌(センセイ)、松里鳳煌(マッチャン)
アトリエイーストで和歌の話をしている二人。伝統文化と現代の乖離について話をしている。伝統という型を踏襲せずに、もっともらしい型っぽいものに、現代を注いでいることに根本的な間違いがあると。センセイは改めて伝統の大切さを述べる。動が揉まれて精度を増し結果的に静になる。それが型である。それが多年の月日を折り重ね伝統の型になる。それを右から左にやると古臭くなるのは当然。型を踏襲しながら現代を注ぐことが伝統文化の営みである。その為には型を入れることから始める必要がある。(2018年収録)
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