平成29年(2017年)3月の放送予定
3月10日(金):第四十四回:妖怪百物語
話者:センセイ、マッサン、トッチャン
「妖怪大戦争」の収録以来、何かと話題に上がった「妖怪百物語」をやろうと今回の運びに。センセイは赤羽にあった大映の映画館で祖父母と共に当時観に行ったことを思い出しながら、トッチャンは知らない中で、マッサンは当時テレビで見て、今回三十年以上ぶりに観た上での鼎談となる。マッサンは物語の主題となった「百物語」を落語家の林家正蔵が語るシーンが子供心に映画の中で最も迫力があったことを思い出し、同時に大人になっても変わらない印象と語る。センセイは「名人芸だから」と応え、嘗ては脇が凄かったと言う。マッサンはこの映画の面白みとして、表側の真面目な時代劇に対して、あくまでふざけている妖怪達という対比にあると視点を持ち出す。
※妖怪百物語:1968年3月20日に公開。大映京都撮影所製作の時代劇・特撮映画。併映『ガメラ対宇宙怪獣バイラス』。カラー、大映スコープ、79分。大映京都の妖怪映画3部作の一作目。1968年1月にゲゲゲの鬼太郎(白黒版)が放送開始され子供達の間で妖怪ブームがおき、結果的にその追い風も受け好評をえる。本作に取り上げられた「百物語」は、江戸時代の落語家である初代林家正蔵が盛んにしたもので、江戸の人々が行っていた怪談話の会をさす。劇中で初代林家正蔵の役を八代目林家正蔵(のちの林家彦六)が演じる。監督: 安田公義。(Wikipediaの情報を編集)
3月20日(月):第四十五回:視点の相違
話者:センセイ、マッサン、トッチャン
「妖怪百物語」で「脇役の凄み」から話が盛り上がる。センセイは嘗て「好きの一心」で食える食えないを考えずに役者を目指した人がいた。だからこそ深みのある役者がいて脇役が厚く固めていたことを語る。マッサンは”水木しげる”の自伝から、昔は漫画が好きな同士が一杯いてワイワイやっていたけど、いつの間にか自分一人だけになっていた。あれは好きというパワーが弱かったんだろうと言ったことを思い出す。センセイはソレに対し「それも自然淘汰だから」と応える。昨今の「個性」の捉え方についてセンセイが言う。トッチャンはそれに対しマルクス主義にしても観念的理想理論から立ち上げたものの成功したと言える例を見ないと受ける。遺伝子の妙技の話になり、勘違いが必ずしも悪いことになるわけではない話へ移っていく。
3月30日(金):第四十六回:音楽活動
話者:センセイ、マッサン
知人の活動を拝聴する中でしみじみと音楽活動の大変さを感じたことからマッサンが口を開く。書は紙と墨、筆があればいつでも一人で出来る。しかも選び取った仕上がりを、それぞれの感覚で見てもらうだけで済む。それに対し、音楽は練習する場から考えなければならない。昔はあちこちでピアノを練習する音が聞こえていたが、昨今は騒音問題から自宅で練習すること事態が儘ならない。その上でソロならともかくバンドなら音を合わせる練習も別にいる。ましてやオーケストラならその機会を得ることそのものが一苦労。演奏するにも場所がいる上で本番が1度きり。挙句に観客の前でやるのが基本的な音楽表現のスタンス。そんな中、音楽は時間経過を含めた表現である為、聴取側も固定された時間が必要となり、会場も聴者も色々いる。こうした音楽に関する活動の背景を思い、実際に作曲したこともあるセンセイにぶつけていく。
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