2018年(平成30年)4月放送予定
4月10日(火):第八十三回:名前と普遍
話者:センセイ、マッサン ゲスト:松里浩義
人の名前が大きく変わってきたと感じるとマッサン。センセイはメディアに影響されていると応える。ゲストの写真家ヒロヨシさんも息子の体験を述べる。センセイは親には責任があると。マッサンは明治期の文学を読むと流行った名前で勝手に改名してしまう描写があるが、今は些か逸脱したものを感じると。センセイは子供時代から老年時代まで使うものだから時代の変化を大きく受けない普遍的な名前であるのが望ましいと。名前は小さな詩のようなものであり法則に則ってつける必要があると、普遍性について話が展開する。
4月20日(金):第八十四回:バランス
話者:センセイ、マッサン
使いたくないという人の感覚には、長い歴史の中で積み重ねた事実が折り重なって、知らず人間の無意識に刻まれた体験があるのではないかと投げかける。交響曲の作曲家には「9番を仕上げると命を落とす」というジンクスがあるようで、中にはブルックナーのように9番を避けるためか0番をつくったと言われるほど。こうした非科学は何れ証明されるにしても今の科学では証明できない部分は沢山あるのを忘れていると述べる。無闇に信じたり、何も知らず否定したりすることはバランスを欠いていると述べ、作品のバランス、精神のバランス、人生のバランス。バランスの話になっていく。
4月30日(月・祝日):第八十五回:指先が生み出す感動
話者:センセイ、マッサン
鶴を折っているマッサンに対しセンセイから質問があり、それに答えている冒頭から始まる。一昨年から折り紙がしばらく頭にあり、それが2017年の国際展後に見たハンガリーの活動にて触発され、日本人としては折り鶴ぐらいは何時でも折れるようになりたいと思ったと応える。そこから感動がある型と無い型があることに気づいたと言う。センセイは、記憶には無いが幼少期に感動した要因があったのだろうと応える。そして、子供時代に何を体験したか、何に関わったかが大事で、それが核になると。センセイは、書も造形に感動して書いているというより書く行為そのものが指差を通して感動があるからではないかと持論を述べる。
お客様情報
松里浩義(まつざとひよろし):写真家。フォトグラファーズオフィス美苑(びおん)主宰者。独学でカメラ撮影技術を学び、カメラマンとして出版社勤務の後、フリーランスとして独立。2001年:書家の野尻泰煌氏をライフワークテーマと据え、同書道会にも入門。2003年:東京芸術劇場にて写真家として初の個展を開催。仕事では人物を撮影することが最も多いが、セルフテーマとして自然物をとったり、美術作品を撮ることも。ライフワークとして書家の野尻泰煌の人物および作品を取り続け、一方でミュージシャンの本名カズトのライブ撮影も多くこなしアルバムに採用。雅号、寶山(Hozan)として自らも筆をもつ。[公式][facebookページ]
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